考察:涼宮ハルヒとマンネリズム

提供: SOS団Miraheze支部
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正直に言うなら、涼宮ハルヒシリーズはマンネリズムに陥っていると思っている。理由やその打破の可能性は以下のとおりである。

涼宮ハルヒとキョンの精神的成長を促すビッグイベントが一段落している

アニメ版消失で時を止めているのは興味深い。何故なら、物語を涼宮ハルヒキョンの成長物語と解釈する場合、

  1. 涼宮ハルヒの憂鬱でハルヒがSOS団とともに既存の世界で歩んでいくことを受けいれ、
  2. 涼宮ハルヒの消失でキョンがハルヒやSOS団の団員がいる非日常を受け入れた

時点で、大きな成長は一段落してしまっているからである。その後の短編は、既に一種の均衡状態に達してしまったSOS団の均衡維持の日常が描かれているだけであり、あるいは団員はゆっくりした成長はしているのかもしれないが、更なる成長を促す強力なイベントに欠いており、成長の中身もまた、憂鬱と消失で十分に示唆されていることの延長線上でしかない。

敵対勢力も決定打に欠けている

だが、消失以降の長編を見ると、確かに涼宮ハルヒの陰謀で敵対勢力が現れ、分裂驚愕で彼らと対峙することになるため、プロット上の動きはなくはない。とはいえ、それすらも、徹底したものではない。

佐々木団の「団長」佐々木はキョンの親友であり、しかも涼宮ハルヒの能力を自分が物にすることを望んでいない。橘京子は確かに朝比奈みくるを誘拐したかもしれないが、古泉一樹を尊敬しており、「機関」との敵対関係もやむを得ない結果であるという節があり、敵キャラとしては徹底していない。周防九曜はそもそもが天蓋領域の使者として情報統合思念体の端末とコンタクトを図っているだけであり、確かにコミュニケーション形式の不一致ゆえに長門有希に負荷をかけて彼女をダウンさせてはいるが、決して長門友情報統合思念体とも明確に敵対する意図がある訳ではない。

唯一敵キャラらしい敵キャラと言えば、悪意むき出しで涼宮ハルヒを本気で殺そうと試みる藤原だけであるが、その藤原にしても、本質的には朝比奈みくる (大)を姉と誤認し、その姉を失いたくないと望むだけのただのシスコンである。

ことによると涼宮ハルヒ願望実現能力ゆえに徹底的な敵キャラは現れず、それなりに敵キャラらしかった藤原に至っては次元断層によって未来に強制送還されてしまうのかもしれないが、敵は徹底した対立軸とはならず、せいぜいハルヒとキョンがともにSOS団を受け入れた結果生まれた、SOS団の団結を強調する役以上のことはできずに終わっている。故に、敵キャラすらも、キョン達に大きな成長をもたらしたとまでは言い難く、マンネリ打破の試みとしては今一つに終わっている。

マンネリズムは続くのか?

原作者谷川流の執筆ペースは驚愕に入った頃から顕著に落ち、驚愕以後はあてずっぽナンバーズ七不思議オーバータイムの二つの中短編を発表しているだけである[1]

マンネリズムを崩す物語上の予測されるイベントは、ないわけではない。が、恐らく作者は、それを書くことに踏み切ることができないでいるのではないか。

元々、禁則事項という言葉の生みの親であるこの作者は、「語れないことは語らない」方針を持っている。その証拠として、キョンが理解できないハルヒの論文は、(他の作品を写せた以上「キョン」にとっては機械的な作業としては掲載することができないはずはないのに)丸写しとしてすら掲載されることはなく、時間平面理論の詳細も、文章を読めばある程度明らかにできるにもかかわらず、本格的な内容が記載されることはない。

また、長門が幽霊問題について禁則事項という言葉を使うのも、作者が慎重にその辺の見解をぼかすため目的が含まれていると考えて間違いない[2]

このような作者の傾向から、作者がもし彼らの更なる成長を促すイベントを「書けない」と思っているとしたら、そうである限り現状をだらだらと維持するマンネリ作品しか生まれない可能性は十分に考えられる。

マンネリを打破できるイベント

既に作中で可能性が示唆されている中で、マンネリを打破できるイベントとして考えられるのは、以下である。

  1. 朝比奈みくるの帰還
  2. 涼宮ハルヒの自覚
  3. 異世界人の登場

但し、これらの理由は相互に密接に結びついたワンイベントになっている可能性も十分に考えられる。異世界人の登場については上記リンクに譲るが、朝比奈みくるが帰還することによる団員の欠落は、キョンがジョン・スミスであることを明かしてハルヒを突き動かす動機になり得るからである[3]。この場合、考察:涼宮ハルヒとTPDDで予想されているような、ハルヒの自覚とミクルの帰還がTPDD開発につながっていく展開へ至ると考えられる。

鶴屋家のオーパーツについては、これらのイベントに関連して使用される可能性や、別の中短編で使用される可能性は今後の展開として考えられるが、前者ならイベントに関連した不随物に過ぎず、後者であれば精神的成長を促す均衡打破の小道具になるとは考えにくい。故に、上記イベントとは独立してこのオーパーツがハルヒやキョンの成長を促す装置として働く可能性は低い。

この作者は中短編で伏線こそ張ることはあるが、精神的成長の物語は基本的に長編で引き起こし、中編や短編は均衡状態の幕間として描く傾向があるからである。

終わりに

涼宮ハルヒの憤慨で、古泉一樹「涼宮さんが大人しくしていたら面白くない何者か」[4]に言及しているが、その一部は、我々読者なのではなかろうか。ハルヒが大人しくなり、「普通の」少女としての側面が強く出るようになっていくことは、「ただの人間には興味ありません」の一言に同意した読者たちにとってみれば、期待外れの展開なのではなかろうか。

少なくとも、私はハルヒの自覚など、大きな変化が生じるであろうイベント、均衡の次のステージを望む。万物は流転する。静的な均衡状態は、現実であれば長くは続かないし、作中世界でもいずれ破れることは示唆されているのだ。朝倉涼子ではないが、「何も変化しない観察対象」は、変化に期待する人々を間違いなく飽き飽きさせることだろう。いつまでも続く第一幕の延長戦ではなく、真の第二幕が書かれることに期待したい。

脚注

  1. 涼宮ハルヒちゃんの憂鬱完結記念書下ろしなど、派生作品の影響を受けた周辺的作品は除く。
  2. 長門の精神的発達を描きたいだけなら他にもいくらにも描きようはあるし、実際作者はそうしている。このシーンにでわざわざ成長を描くだけの特別な必然性は存在せず、むしろ成長にカモフラージュした作者的方針の援用と考えた方が自然である。
  3. 直接的な言及は長門の欠落についてであるが、長門の欠落と朝比奈みくるの欠落でキョンが対応を区別する理由はあるだろうか?
  4. 憤慨スニーカー版、p.287。

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